いま防衛を考える
防衛とはなにか 今こそ議論するときではないでしょうか
平和が問われるときに何を思い出しますか
祖父母から聞いた話
歴史から学ぶのか
新聞やテレビは偏ってないか
誰に教えを乞いたいか
私は中村哲さんの言葉を読み返します
今日はそれをご紹介いたします
アフガニスタンにおいて
単に日本人であるがために命拾いしたとか、単に日本人であるがために仕事がうまくいくようになった、とかそういうことがそれこそ数知れずありました。
経済大国となったにもかかわらず、他国への武力による介入をおこなわなかったことへの敬意。長いあいだ、これは日本の安全保障上の大きな財産でした。
ところが、
これが変わりはじめたのは、1991年の湾岸戦争、決定的になったのは2001年以降です。
2001年10月のアフガン空爆からイラク戦争に至るまでの、一連の日本政府の決定とそれにともなう自衛隊(現地ではJapanese Armyと呼ばれる)の動きが現地に伝わるようになった頃から、徐々に変わっていったのでした。
私たちを知っている人たちはもちろん、わかってくれますけれども、今や、地域によっては、単に日本人であるために攻撃を受けたり、単に日本人であるがために仕事の妨害をされる、といったことも起こりつつあるのです。
このことは、ぜひ知っておいていただきたいと思います。
世界中を席巻している迷信
このアフガニスタンでの事業をおこなうことによって、少なくとも私は、世界中を席巻している迷信から自由でいられるのです。世界中の人がとらわれている、その迷信とはなんでしょうか。
それは、一つには、お金さえあれば幸せになれる、経済さえ豊かであれば幸せになれる、というものです。先ほど述べたように、貧しいアフガニスタンの人々の顔は、けっして暗くはありません。
そして、もう一つは、武力があれば、軍事力があれば、自分の身を守れる、という迷信です。武力が安全をもたらすものかどうか、丸腰で行う用水路建設での私たちの経験が教えてくれます。このような、実体験によって、私たちは、幸いにも、この強力な迷信から自由です。
そして、その迷信から自由であることによって、人間が追い込まれ、極限状態になったときに、これだけは必要だというものはいったい何なのか、逆に、これはなくてもいい、というものは何なのか、そういうことを考えることができます。
アフガニスタンでの活動で、その答えのヒントをもらったような気がしています。このことを考えることは、今の日本にとっても、必要なことではないでしょうか。
平和の議論が現実とかけ離れていないか
地域の「ほんげんきょう」にこのくらしの尊さと当たり前ではない日常を守ることを祈る
わたしにも自衛隊に関わる大切な人たちがいる、彼らの安全のためにも、武力はもたない方がいい
平和は人類最大の理想
この理想を私たちが今諦めたら、
子どもたちの未来は平和から遠ざかるだけではないでしょうか
平和とは防衛とは先人に学び議論するするときがきています
この記事を書いた人