土の中では水と空気が息づいている
那珂川では月イチ井戸端会議「あーね」を開催しています。
今回のテーマは「木」
那珂川市南畑地域の氏神である日吉神社の由縁は、特定の神を祀るところから始まらず、鳥居をくぐると右手に古代信仰の証といわれる磐座があり、正面の本殿向かって右手にすっと上に伸びる樹齢500年の「オガタマの木」が聳え立っています。県内だと最も古いものと考えられて県指定の文化財として保護されています。
この木は、南面里の正應寺を建立した大鶴宗雲が、神招木として植えたとされています。
オガタマの実は、その形が神楽鈴に原型とされ、アメノウズメが天岩戸の前でオガタマの枝を手に舞ったとも言われています。一円玉に描かれているのもオガタマの葉と言われていますが、私もお話を伺うまで知りませんでした。
さて、今回の開催の目的はただ神木のことを詳しく知りたいだけではありませんでした。
私たちに暮らしの中にはこうした神木はじめ鎮守の杜には、とくに街の中で唯一の多様な樹木や大木が残された場所となりつつあり、樹木が汲み上げる大量の水は大地や周りの空気を潤しそこに身を置けば心地よく安らぐ。一本の高木の葉から200リットルの水が蒸発しているおり、土中のポンプの役割を果たしています。
もちろん、空気を浄化していることはそこに行けばわかります。街中の大木や、街路樹さえも、土中の水脈を守り育てる重要な役割を担っていることを、人々は理解して暮らしてきました。市内の古い住宅街の中をあるけどは、集落で大切にされて来たのだろうと思われる大木が見受けられます。
土中を健全にすることが、豪雨時の土の流出を守り、土砂災害を防ぎ、また山、川、海が蘇るという一連の繋がりに貢献する重要な手立てであることを先人たちはよく理解してきたのでしょう。
「今年も漁獲量が激減」このニュースに、
回転寿司の安価な魚(我が家も行くことありますが)や、目の前の木々との繋がりを想像できているでしょうか。。
戦前生まれの方とお話をすると、「昔はダムが無くても、川が氾濫することはほとんどなくて川辺でみんな暮らしていた。川には魚が沢山いたから採って食べていた。戦後、山に針葉樹を沢山植えてから、川が氾濫することが増えてたからね。ダムを二つできて、魚もほとんど捕れなくなったね。」と。
今も、「山の神祭り」をこの地域では行っています。
たまたまその後、那珂川市街地のイチョウ通りへ。イチョウが最も美しいとされる時期になんと、剪定が始まっていました。まだ剪定していない場所も枝は伸びておらず。
『「銀杏がクサい」という声が届いたから、
今年からこの時期に剪定してみています。』
と、担当課。
他の街路樹もですが、強剪定を毎年繰り返す管理には、育成の視点が抜け落ちている気がしてなりません。
夏の木陰もほとんど感じられない。
もちろん、匂いや落ち葉や安全管理と色々とあるとは思いますが。
さて、みなさんどう思われますでしょうか。
次の一般質問へとつながっていくと思います。
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